「感謝して欲しい」と相手に望むと、気持ちがモヤモヤしませんか?
「少しくらい感謝しようよ!」と思うときは、もしかするとこんな風に感じてるのかもね。
自分勝手な人、人傷つけちゃう人。それが自分の親とか子供とかパートナーとか、すごく身近な人がそうだと気になりませんか?
ついつい、キッて相手をにらんで、
「なんでそんなこと言うの!仲良くしてよね!」
と思ったり、あるいは口に出したり。
100%、明らかにこの人が悪い!良くない!私が叱ってあげなきゃ、誰が叱ってやれるのか。叱るのは愛情表現の一つさ。とか思ったり。
子供に対して親がそう思うこと、ありますよね。
或いは、年老いた親に子供から言う事もありますよね。めっちゃわかります。
現実は頭の中が作り出してる仮想現実という考え方があるのですが、その観点から言うと、この現象は自分への感謝不足が3次元世界に現れたと見ることができます。
日頃、自分への感謝を怠っていませんか?
例えば、思い切って本当の気持ちを打ち明けてくれてありがとう、私。
お陰でスッキリしたわ。
と、自分で自分を褒めるんです。
例えば、それが他人だったら、簡単に出来る人が大勢いるとおもうんです。
他人を褒める>自分を褒める、この力関係に注意!
この構図が好きな人、多いですよね。他人を褒めると、少なくとも他人は不愉快な思いはしないし、もしかしたら自分に好意を持ってくれたり、自分の立場が良くなるような手助けをくれるかもしれません。
そういう打算的な思いが裏にある、って気づいていましたか?
もし、他人を褒める=自分を褒める、という力関係なら、それはとても純粋な、「それ、いいね!(^^)」という気持ちです。
でも、他人を褒めるくせに、ワザと自分を下に見る人いますよね。自分をあからさまに褒めることに抵抗を感じています。これだと、いつまでも自分の中が満たされないのです。
自分は存在していていい、自分は価値ある人間だ、と繰り返し自分の口で声に出してみて下さい。心がザワザワしませんか?恥ずかしいとか、落ち着かないとか、誰に聞かせるためにやってるわけでもないのに、逃げたくなりませんか?
それと比較して、あの人はすごい、あの人は私より優れている、あの人は気遣いの出来る人だ、などと、他人を高評価する方が自分を褒め称えるよりも堂々と言えて、気持ちが良くはありませんか?
もし、そうならば、自分への感謝が不足しています。他人>自分になっています。
他人>自分の弊害とは何か?
自分を認めず他人ばかり評価している人は、実は徳が高くて良い人なのではありません。自己犠牲的な考えに染まっている人もそうです。
そこに潜む弊害はある日突然やってきます。
それは、「キレる」「暴力的になる」
「無気力になる(欲が無くなる)」です。
心が常に飢えていて、それを満たすのは実は自分自身によって自分を愛することなのに、そうとは知らず、他人から恩恵をもらおうと躍起になってしまうため、上っ面だけ他人を褒めるのです。
上っ面だけ他人を褒めても、自分の内部は満たされません。それどころか、見返りが欲しくなったり、素直な人を憎らしく思い、自分勝手は悪だと認識し出します。
大抵、子供に対して、そう思うお母さんは多いんじゃないでしょうか?
あるいは、高齢で口だけ達者なご老人に対して、怒りが湧いたりするんじゃないでしょうか?
どちらも、仕方がないと暖かく見守ればいいだけだし、疲れるなら保母さんやヘルパーに頼んで、しばらくの間、自分を休める時間を持てば安定します。
そもそも、相手をどうにかしよう、どうにか出来るという思いはとても傲慢です。人は自分で解決できる力があり、ハイヤーセルフは皆んなに居ますから、その時々での最善最良を必ず用意してくれます。
だから本当はあなたが何かしようとしなくても大丈夫なんです。あなたが何かしようとしたくなる衝動は、実は相手の問題ではなく、あなたの内面の問題だったんです。