人間にはどうして感情があるのか?感情が邪魔だと感じる人へ。
みんなのハイヤーセルフがひとかたまりになって居た頃、感情は凪
生まれる前、みんなの魂は一つだった。実は今も一つだけど、忘れているだけ。
魂が一つなので、満たされている。不得意と得意の差も無いし、みんな平等で、みんな満足。非物質世界にいて、みんな同じだから、人と違うものが欲しいという欠乏感は無い。海は凪いでいる。
ただ、在る。それが喜び。
でも、わざわざ、現実世界である今の物質世界に、みんなの一つの魂から一部分離して、自分と他者の違いが存在する地球に来た。それが私たち。見た目も、持つものも、暮らしも、考えも、何もかもがまるで違う。出来ないことがあるし、反対に出来ることもある。だけど、万能の神は居ない。手を取り合い、協力して、ここまで発展して来たのが人間。
地球の上で、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクしながら、時に傷つき、時に笑い、束の間の幸福感と明日の絶望感に板挟みになりながら、感情を乱高下させている。海は荒れている。
一つのかたまりになっていた頃には味わえなかった感情ばかり。
生きることは、感情を味わうことなんだ。私たちは感情を味わいたいから今、在る。だから、感情は必須なんだ。
多くの人が勘違いしている。
悲しみすら、魂の喜びなんだ。
怒りも、魂が震えてるから、喜び。
ただ、何を味わうかは自分で決められる。
私は幼少期から大人になるまで、割と悲しみや怒りが多かったな。絶望感もたくさん味わったし、その辺のはもう満足してる。好奇心はその部類に向けては無い。人のことを可哀想だとか思って、感情を共感するこはあっても、それに浸ることもない。
銀河鉄道の夜を書いた、宮沢賢治がいるでしょう?
彼の本は昔は好きだったんだけど、自己犠牲とその貧乏な暮らしぶりには、もう飽き飽きしてる。そういうのが、自作自演だとわかったら、うすら寒いんですよ。蛍の墓で、お兄ちゃんが親戚のおばさんの家を出たでしょう?あれもうすら寒い。全部自分で選択して、自分で味わいたくてやってる。他の可能性に見向きもせずにね。
わたしは、泣いても喚いても、誰も助けてくれない、と言葉を吐き捨てる前に、自分で行動しましょう、と思います。
つまり、どんな感情を味わいたいかは、誰でも自由に自分の意思で決められる。
子育てに縛られる不幸なわたし、が味わいたいなら味わい続けられるし、苦手なところを誰かに頼んで、自分は子供の機嫌のいいゴールデンタイムだけを笑顔で味わうことも出来る。
出来ない、と決めつけるのは、そうしたい、そう思いたい、という自分自身の思い込みだ。うすら寒い。自分に酔ってる。悲劇のヒロイン。
どんな人も、自分の思い通りの現実しか受け取っていない。だから、今あるもの全てが感謝でしか無い。望み通りの現実だから。
もしも、自作自演に気づいて、それがもうお腹いっぱいなことに気づいたなら、望むものを変えればいい。選択を変えればいい。
その時、感情が役に立つ。
人生は愛と喜びを感じるためにある、と決める。それに沿うような感情の赴く方を選べばいい。そして、忘れないこと。ひとかたまりのみんなの魂とはいつも一緒だ。目の前の敵は敵ではなく、ただ、あなたの人生に必要な役割を演じてくれているだけだ。争いを望まないなら、争いを考えるのをやめて、楽しい別のことに意識を向けるだけでいい。
ひとかたまりの魂は、みんなであり、あなた自身でもある。完璧で、満たされてて、人によっては神さまと呼んでもいいかもね。
そことは、常に繋がっているし、切れる時は死んだ時。生きている時は呼吸で繋がっている。不安になれば、呼吸をする。呼吸をすると、宇宙の真ん中にある、それと繋がれる。完璧なものに繋がっていることを思い出せば、何も問題ない。あとは感情に従って、愛や喜びの向く方へ進めばいい。
感情、という切り口から話してみたけど、なんだか説教くさかったかな。
絵本は大人も楽しめる書物だよ。
子育てはそれを知ることが出来た。あんな短い本で感情が上下に動く。すごいよねー、絵本って。