チャネリングアート|Mutsuko Hosokawa Mutsuko Hosokawaは、全て手描きによるオリジナル・完全1点もののチャネリングアートを通じて、女性の活躍を後押し、自己実現をしていただくための活動をしております。インナーチャイルドを癒して解放することで、女性の中に眠る女神性を呼び覚ますお手伝いをいたします。意識を宇宙に委ね、ハイヤーセルフと繋がりませんか?

お金は人を変えてしまう

  1. お金に対する考え方によって、付き合いたい人とそうでない人の違いが私にはある。
 
皆さんは、お金を人から借りたり、貸したりしたことはありますか?親でも、兄弟でも、身内だからお金を借りたことにならないとか、勝手な判断をせず、正直に数えてください。
 
 
では、次に、そのお金はきちんと返せましたか?もしくは、現在進行中で返していますか?それとも、踏み倒したり、逃げたり、曖昧にしていませんか?
 
 
愛があればお金がなくても幸せ、という考えの人は、このブログには不向きです。借金を踏み倒したくせに平気な顔ができる人も、このブログには不向きです。即刻立ち去ってください。私はそんな人は大嫌いだし、一生私の人生に関わって欲しくありません。
 
 
それから、お金があれば何でも出来る、札束で人の顔を殴れば、何でも自分の思い通りに言うことを聞かせられる、という考えの人も、このブログには不向きです。同じく、金輪際、私の人生に関わって欲しくありません。立ち去ってください。
 
 

お金は命の次に大事なものだと教わった。

 
私は、証券会社に入りたての頃、支店長と話してたときにこの話をされました。
「お金は命の次に大事なものだ。」
アメリカは、日本みたいに国民皆保険はありません。だから、行きつけのお医者さんを何か事が起こる前に見つけておきます。それから、アメリカは訴訟の国ですから、自分の権利を守るために信頼できる弁護士も見つけておきます。そして、次が資産コンサルタントです。アメリカは自由経済の国です。日本みたいに預金大国ではなく、資産を間接金融と直接金融とにうまく振り分けて、自分の資産価値を守り育てるための相談相手を見つけておくのです。
 
 
この時、支店長は私に証券会社の社員というのはお医者さんや弁護士みたいに、人々にとって大事な役どころである、命の次に大事なお金の相談相手なんだと、言いたかったんです。
 
 
こんなことを話すのは、俗世ぽくて嫌ですか?愛が大事だと言ってほしかったですか?
 
 
でも私はお金よりも愛の方が大事とか言ってる人のことを信用しません。何故なら、お金は愛の表れだからです。愛のかたちの一つで、わざわざお金と愛を分けなくていいからです。大概、金より愛だと言う人は、いままで受け取ってきた愛の大きさを理解してない薄っぺらい人です。
 
 
軽蔑されて傷つきましたか?安心してください。私もそうだったから。生きていくうちに考え方が変わったんです。
 
 

私と母はおじいちゃんの資産で生きてこられた。

 
私の母は、21歳のとき、学生結婚で父親と結婚しましたが、私の父は私が生まれてすぐに本家の家で突然死にました。私は1歳になるかならないかくらいでした。
 
 
当時、本家の跡取り息子と結婚して、何世帯もいるごちゃごちゃした家に嫁いできてしまった母は、コミュ障な性格のせいで、大きなストレスを抱えており、自分のことを父の性奴隷で、父の収入を祖母に牛耳られるせいでいつもお腹が空いていて、祖母からも奴隷扱いされていると悩んでいました。
 
 
産後の精神不安も重なり、私を産んですぐに実家のある新潟に私を連れて逃げてきました。
おじいちゃんは、そんな私たち母娘を匿ってくれた恩人でした。
 
 
私の父は、母のことも生まれたばかりの私のことも本当に愛していましたが、母と口論になり、母を殴ってしまったことに責任を感じていたのと、男として家庭を守れていない不甲斐なさに打ちひしがれていました。
 
 
母に許しを求めてわざわざ東京から新潟に私たちを連れ戻しに来ました。でも、母は私を連れて逃げ、父に会いませんでした。代わりにおじいちゃんが、お父さんと話をして、東京の実家を売って田舎で暮らしたらどうか、と父に話したそうです。
 
 
父がその話を東京の祖母に持ち帰ったかどうかはいざ知らず。でも、その直後に、たった一人、東京の実家で、密室で、死にました。謎の死でした。心臓病だと言われているけれど、もともと病気持ちだったのかな?理由の分からない死は当時は何でも心臓病にしたと聞くけど。
 
まぁ、とにかく、父は謎の死を遂げ、祖母はそのショックで四国へお遍路さんに出かけたと聞いています。
 
 
一方、母は父が死んだのに葬式に出ませんでした。以来、中学になるまで、私は一度も東京の本家の敷居をまたぐことはなかったわけです。それはおじいちゃんのあることづてがあったからでした。
「娘を盗られるから、葬式には行くな。行くならば、お前一人で行け。」
母はここでまず、自分は他人と対等には付き合えないことにひどく落ち込み、その後の人生の教訓としてしまいました。
 
 
コミュ障の母が一人で東京の葬儀に行くわけもなく、だから、位牌はあっても遺骨は無く、父の死に顔も拝んでいません。父の持ち物として残っているのは、私と写っている唯一の写真で着ている半袖のニットシャツと、押入れに仕舞われた立体顕微鏡だけ。
 
 
(すっごい不幸だと思いませんか?
でも、こういうのも自作自演なんですよ。私のブログではどんな不幸も幸せも、全て自作自演で作られたもので、人生は思い込みや概念によって好きなように変える事ができると伝えています。)
 
 
それから、母はしばらく家にいて私を育ててたわけですが、幼稚園に上がるころになると市内の病院に働くようになりました。
 
 
経験を積んで、月給30万円くらいの収入がありました。充分、生活出来ていました。でも、ある時、母の人生にお医者さんの彼氏が現れました。お医者さんの彼氏は、母と結婚したかったのですが、代々医者の相手で、またしても跡取り長男でした。バックにはものすごーーーーーーーくこわ〜い彼氏のお母さんも居ました(笑)。
ここでも、母は自分と他人の違いを深く人生の教訓に組み込んでしまいます。家柄、お金、権力。自由になりたい母はどんどん不自由な思考を始めます。
 
 
 
一方、そのお医者さんは私がいることを知らずに母に近づいてきたので、娘が居ると知ってとてもびっくりしたそうです。お医者さんは私の父親になる勇気がありませんでした。私の母も、血の繋がらない父親を側に置くことをためらい、私にどうして欲しいか聞いてきましたが、私は別に好きにすればいいと言い、母は再婚しませんでした。
 
 
 
だけど、その後、さっきの教訓を現実にしようとし出します。元彼のお医者さんの家の人たちがそうであるように、私を国立大学の附属中学へ受験させようとしてきました。その後の母は、元彼だったお医者さんのお母さんのようなこわ〜い女にどんどんなっていきました(笑)。これはあとで答え合わせが出来るのですが、本当に私の母は、そのお医者さんのお母さんと似ていくのです。
 
 
 
母は小学4年から私に家庭教師を付け、受験勉強をさせ、住居も学校の近くに構え直しました。私は母と離れ、小学4年から祖父母と新しい住処で暮らし始めました。そんな大金どこから?月給30万円の母がすべてやったわけじゃない。お金はおじいちゃんの不動産所得から出してもらっていました。母は、おじいちゃんの不動産所得を自由に使わせてもらっていました。母の人生で得た教訓はこうやって生かされ始めました。でもそれが、のちのち酷い家族内での揉め事に繋がります。
 
 
おじいちゃんは大正3年生まれです。おばあちゃんは末期の大腸ガンでアルツハイマー病。家の中で唯一優しい性格のおばあちゃんは見る影もなくなっていきました。老夫婦が余生を幸せに生きていくにはどう見ても不適合です。住み慣れた居心地のいい田舎の家を離れ、孫娘の受験勉強の世話をするなんて、いくら可愛い自分の娘の頼みごとでも、無理です。
 
 
夜な夜な叫ぶおばあちゃんの世話をすることなど、82歳のおじいちゃんにやり続けるガッツがあったでしょうか?おじいちゃんは近所の一人暮らしの年下のおばあさんと恋仲になりました。
 
 
そりゃそうですよね。家の中は地獄です。お風呂に入れないアルツハイマー病で末期癌の妻と、気がフレてノートを真っ黒に塗りつぶす孫娘。それを怒鳴りつけて勉強に打ち込ませようとする娘。
 
 
おばあちゃんが死んで、おじいちゃんは他所のおばあさんと結婚すると言って、不動産の権利書を返せと母に迫りました。私が無事に附属中学に受かったから、もういいと思われたのだと思います。
 
 
でも、母は受け入れなかった。
多くは語れないけれど、おじいちゃんは中学に入ってからすぐにボケ老人のレッテルを貼られ、病院に入院させられました。
 
 
精神薬を飲まないと暴れるからと、薬を飲まされていました。
 
 
母は弁護士を雇い、恋仲だったおばあさんとの仲を裂きました。
 
 
精神薬を投与され続けたある晩に、私はおじいちゃんに母と間違えられてトマトを投げつけられました。私は怒っておじいちゃんの胸ぐらを掴み怒りました。おじいちゃんは「すまん、あの子と間違えた。」と、ひどく冷静に答えてくれました。
 
 
だけど、またおじいちゃんと母は権利書で揉め、おじいちゃんは実家に私と母を入れまいとして、包丁を持って追い返し、私は母とスーパーの駐車場に停めた車の中で野宿しました。おじいちゃんはお隣さんから数十万円を借りて、何かをしに家を出ました。病院にいた時は、ベッドにくくりつけられた手首の紐を解いて、国道の建設トラックが唸りながら走る断崖の夜道を歩いて逃げ出したりしていました。お金も無い。周囲に信用してもらえない。おじいちゃんは何かをしようとしていました。
 
 
私は母の暴力に怯えながら、とにかく目の前の高校受験に集中するしか自分を守る方法がわかりませんでした。
 
 
 
そしてその最中、おじいちゃんは死にました。私はおじいちゃんの死に目に会いませんでした。私は家族の紛争とか死とかよりも、選ばれし者が集まる附属中学で、偏差値を上げることに集中しなければ、先が無いと恐れていました。附属に入って最悪なのは、頭の良い人の中で中の上を目指すことは、附属じゃない中学で中の上を目指すよりずっと難しくなることです。入ったからって、安心出来ないんです。入ってからまた競争にどんどん競り勝たなきゃいけないんです。だけど、私の目的は家を出ること。家族と出来るだけ早く縁を切り、干渉されない自分の場所を作ることでした。そのために、この戦いに勝たないといけなかったんです。
 
 

お金は気持ち良く払いたいし、お互いに喜びの中で払われたい。

 
誰かの自由を奪うようなお金の使い方は私はしたくありません。しなだれかかるような依存関係も絶対に嫌です。自分に価値が無いと感じる相手からの貸し借りの要請は絶対に受けませんし、私との間合いを考えられない態度の人とは縁を切ります。
 
 
なぜならお金はエネルギーで、愛だからです。お金は美しく使われるべきだと思っています。お金に悪い感情を抱く人もいるかもしれないけれど、お金は本来、世の中を潤して便利に物品やサービスの交換を行うための道具です。お金というものが生まれたのは、世の中を良くしようという愛からです。私はその通りの使い方をしたいし、私と取引する人は、必ずそういう使い手であることを常に望んでいます。
 
 
だから私は冒頭にお金を軽視する人を侮辱したんです。お金より愛が大事という人のことも。私の人生において、家族の生き方が私の教訓となりました。私は家族を反面教師として、お金の使い方に注文が多くなったんです。
 
 
 
 

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